最近読んだ本&マンガ〜『不幸な国の幸福論』加賀 乙彦 (著)など。。。


『不幸な国の幸福論』加賀 乙彦 (著) 集英社
挫折と逆境こそが「幸福」の要件である!!
経済は破綻し格差は拡大する一方、将来への希望を持つことが難しい日本にあって、「幸せ」は遠のくばかりと感じている人は多い。しかし、実は日本人は自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか―。
精神科医、心理学者でもある作家が「幸せになれない日本人」の秘密を解き明かし、幸福になるための発想の転換法を伝授する。追い求めている間は決して手にいれることのできない「幸福」の真の意味を問う、不幸な時代に必読の書。。。内容紹介より

ちょっと前に『 絶望の国の幸福な若者たち』古市 憲寿 (著) 講談社 を読んだので似たようなタイトルをダヴィンチで見つけた上の子が図書館にリクエストしました。(こちらの方が2009年発行で早いのでした^^;)
『絶望の〜』が若き新進気鋭の社会学者が今の日本の状況をクールにシニカルに分析した本だったので(面白く読みましたが)、それと似たような本かと思いきや、、、いや、とてもハートウォームな内容で感動しました!
まずは第一章「考えない」習性が生み出す不幸。本当に自分にも当てはまることが多い。。。(-_-メ
第三章「幸福はしなやかな生に宿る」では“あきらめ力”について、もともと諦めるは「明らかに見極める。事情をはっきりさせる」の「明きらむ」から派生した言葉で、もともとは仏教用語で「心理を悟る」「道理を明らかにする」といった意味だったとのこと。。。昨今頻繁に使われる「あきらめない」に違和感を抱いていたのでとてもしっくりきました。
生き難いと感じているすべての人に、読んで欲しい本です。


『怖くて眠れなくなる科学』竹内 薫 (著) PHP研究所
ベストセラーサイエンス作家竹内薫が贈る、知ってはいけない!? 科学のこわーいはなし。
科学には「裏の顔」がある!
脳を切除するロボトミー手術や恐怖の人体実験など、科学が暴走したはなしから、強毒性インフルエンザの感染力や隕石による人類絶滅の可能性等のスリリングな科学のはなしまで、文系の人でもホラー小説を読むような感覚で楽しめる、怖い科学の世界へようこそ。。。内容紹介より
恐怖を感じない人は死ぬ確立が高い!ただし、現代社会では「怖がる人はうまくいかない」!う〜ん、なるほど。。。
「記憶はウソをつく」や「恐怖の実験エトセトラ」などの話は『感性の限界』にも出てきましたが、本当に怖いかも。


『千夜千冊番外録 3.11を読む』松岡 正剛 (著)平凡社
大震災と原発問題について、多くの関連本の中から、何をどう読めばいいのかを案内。ウェブ連載〈千夜千冊番外録〉の待望の単行本化。。。内容紹介より

60冊の中で読んだ本が数冊。。。ますます読みたい本が増えました。
特に第二章、第三章の原発やフクシマの問題では原発推進派と脱・原発派双方の書籍を取り上げていて興味深い。
また、蝦夷の時代にまでさかのぼり、「みちのおく」である東北とは何かを考える第五章では『東北学』の赤坂憲雄の柳田批判をもっと知りたいと思いました。。。。


『短歌の友人』穂村 弘 (著) 河出書房新社
ニューウェイヴ短歌をリードする歌人が短歌を読みながら短歌について考える。短歌の面白さを通じて世界の面白さに突き当たる、著者初の歌論集。酸欠世界のオデッセイ。 。。。内容紹介より

穂村氏は短歌の実作の体験のない人は「短歌にも色々なものがある」と漠然と思っているのではないだろうか?と言う。だから他ジャンルの表現者が作ったり、作ったものの<読み>を見ると「何かがわかっていない」「前提となる感覚が書けている」という違和感があるのだそうで、へ〜と思った。。。
「歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ」で、歌人はみな無意識にそのことをよく知っている。のだそうで、近代短歌の説得力は「生の一回性」「「交換不可能性」唯一無二である「生のかけがえのなさ」こそがそれであった。が、、、、現代はそれを手放すことで何度でも再生可能なモノとしての言葉を手に入れ「なんでもあり」になった、、、など、など。


その他、不思議な少年山下 和美 (著) 講談社や、『20世紀少年11』浦沢 直樹 (著) 小学館銀魂45』空知 英秋 (著) 集英社など、TUTAYAから借りたものを読みました〜

最近読んだ本&マンガ 『チャンネルはそのまま!』など〜


北斎』大久保 純一 (著) /岩波新書
「画狂人」と称した葛飾北斎(1760-1849)は、生涯自らの到達点に満足することなく、画業に専心し、多彩な作品を遺した。初期の役者絵から、美人画、摺物、読本挿絵、絵手本(北斎漫画)、風景画、花鳥画、そして晩年の肉筆画まで、傑作・代表作を収録し、その画業を江戸絵画史の中に位置づけながら、読みとく。。。。内容紹介より
今は新書でもカラーがふんだんに使われているんですね〜
北斎の構図の取り方はやっぱりすごい!


『読むだけですっきりわかる日本史』後藤武士(著)/宝島社
私のあまりにもひどい歴史音痴にあきれて(重)が買ってきてくれました(^_^;
どのくらいひどいかと言うと、、、時代認識が☆昔(江戸時代くらい?)と☆大昔(縄文時代?)と☆近代(明治から?)くらいしかない\(^o^)/
しかし、これ読んでると「ほー」とか「あぁ」とか思っても全然頭に入らないんですよね。。。今まだ奈良時代です。


『カキフライがないなら来なかった』せきしろ (著), 又吉 直樹 (著) /幻冬舎
妄想文学の鬼才と、お笑いコンビ「ピース」の奇才が詠むセンチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句四百六十九句。散文二十七篇と著者二人の撮影による写真付き。。。内容紹介より
菜の花村店長さんより〜またまた俳句もの。しかも自由律!う〜ん、詩ってそもそも自由なものなのねっ!と改めて確認。
何でもない日常に思ったことを思ったままにつぶやいている感じ。でも読んでると次々読んでしまう。

せきしろさんの散文「出て行けちょっとまて」では職業柄か性格か、日常生活に何かと物語が入ってくると言うことが書かれていて、何かちょっと角を曲がっただけで大げさなナレーション「意を決して私はついに角を曲がった」(笑)そして「角を曲がった。まさかあんなことが起こるとは夢にも思わずに・・・」から「あの時、角を曲がってしまったばっかりに・・・」など。。。あぁ、こういうことってあるなーと笑えます。
哀愁を帯びたモノクロ写真もグッド。昔こんな写真ばっかり撮ってたな〜と懐かしくなりました。


『チャンネルはそのまま!』佐々木 倫子 (著) /小学館</span>
こちらも店長さんより〜いつもありがとうございます!!
動物のお医者さんから読んでいますが、ちょっと天然で憎めないおバカな主人公(もしくは女子)とそれに振り回される真面目で控えめで忍耐強い男子、、、というパターンを繰り返し描く作者。いや、ホントに面白いのでいいのですが!!作者自身のことなのかな〜?とちょっと気になります^^
今回も「バカ枠」と「バカ係り(プチプチ)」に大笑いしました〜〜

最近読んだ本&マンガ〜『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』など


銀の匙 Silver Spoon』荒川 弘(著)/小学館コミックス
いつもの菜の花村店長さんよりお借りしました。

寮があるという理由で大蝦夷農業高校(エゾノー)に入学した八軒勇吾は、将来の目的が定まっているクラスメイトに劣等感をいだきつつ、実習や部活に悪戦苦闘の日々〜
名前をつけてしまった仔豚“牛丼(間違った!)豚丼”の肉を全部買い取り。。。おいしそ!!
汗と涙と泥まみれの酪農青春グラフィティ!だよ^^


『猫なんか呼んでもこない』杉作(著)/コンペイトウ書房

こちらも店長さんが貸してくれたマンガ。人気のようでアマゾンで随分待たされたそうです。
ほんとうにあった、猫と男の物語。 ブアイソウな黒猫と暮らすことになった、プロボクサーのオレ。猫なんか大嫌いだったが、ボクシングの夢が断たれたあと、オレを頼ってくれたのは、このちっぽけな猫だけだった……。ブキヨウさにニヤニヤ、ゆるゆるなごんで、最後にホロリ。深くしみいる、大人の実録猫マンガ。。。。内容紹介より。
始めはお兄さんがマンガを描いていてそれを手伝っていたようですが結局お兄さんはマンガをあきらめたようです。そちらも読んでみたいものです。


『歪曲報道』高山 正之 (著)/PHP研究所

朝日新聞NHK、TBS…あなたは、まだ彼らを信じられますか?名物コラムニストがマスコミの病理を一刀両断。。。内容紹介より
「まえがき」に、アメリカ人や中国人などから歴史論争を吹っかけられて、逆にやり返したエピソードが書かれています。
私は本当に歴史に疎いので記者が言っているようにもし他国の人から歴史的なことで攻められたすぐに謝ってしまうかも。。。
これからは"新聞やメディアが流す情報が信ずるに足るものかどうか見抜く力"「メディアリテラシー」を鍛えなければならない時代なのだそうです、、、。


修道院のお菓子―スペイン修道女のレシピ (天然生活ブックス) 』丸山 久美 (著)/地球丸

厳しい戒律のもと、つつましく暮らす修道女たち。修道院では中世の時代から、レシピを大切に守りつづけています。材料が豊富にはない時代に生まれたレシピなので、つくり方はとてもシンプルですが、しみじみおいしくて、どこかほっとする味わい。素朴でかわいい修道院のお菓子、50品。。。って良く見ないで図書館に返してしまいましたぁ(>_<)


『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』内田 樹 (著), 高橋 源一郎 (著) /ロッキングオン

3・11以降の「もう元には戻れない日本」で、我々はどう生きるのか。稀代の論客ふたりが真正面から政治を語る、総合誌SIGHTの大人気連載、単行本第2集。。。。内容紹介より
第一集『沈む日本を愛せますか?』を読んでいませんが。。このお二人のことなので(あ、ホストは渋谷陽一さん)話がどんどん展開していくスピード感と面白さがある。
この対談と同じように『日本の文脈』中沢新一内田樹の対談でも、下の『歴史と現在』の高橋源一郎中沢新一の対談でも「これからは「男のおばさん(もしくは男でおじさん)」「おばさんっぽい父」がロールモデルになりうるという話が出てきて笑える^^


『歴史と現在』原 武史 (編集)/ 河出書房新社

第二章立花隆と原武志の対談「共産党と情報公開」を読んで、今ひとつわからなかったいわゆる、左翼、右翼というのがなんとなく見えてきたような。。。


梯久美子さんと原武志の対談「戦争とノンフィクション」では著書『散るぞ悲しき 硫黄島総司令官・栗林忠道』の取材や執筆のエピソードに感銘を受けました。
梯さんが会ったことのない人物を調べていくうちに今、まさに自分たちが未来から見られているのだという視点に気が付いたことは本当に重要なことだと思いました。
私たちが過去の戦争を「なぜ誰も止められなかったのか」と思うように、現在の私たちも未来から問われ、批判されるだろうという想像力。未来からの目に耐えられる行動をとりたいという梯さんの思い共感します。


その他、音楽史家 渡辺裕さんとの対談「音楽と政治」では石巻市(旧河南町北村地区)に今も継承されているジンタの話があって小学校の運動会で演奏されているとのこと。日本のもともとの音楽には和音がないので、皆同じ旋律で吹く。管楽器が三人もいるのに同じ旋律を吹いて、しかもそれがずれているのものだから妙な味を出している^^という話は隣町に住んでいながら全然知らないことでした。

最近読んだ本〜『絶叫委員会』など


上の子が穂村弘にはまっていて、ず〜っと前に菜の花村店長さんよりお借りした「絶叫委員会」がまた読みたい、と。。。
はて、題名に覚えがないなぁと思いつつまた借りてみたら思い出しました^^;
「これもあるよ」と春日さんとの対談本も貸していただきました。
『君がいない〜』は図書館より。

『絶叫委員会』穂村弘(著)筑摩書房
穂村さんは1962年北海道生まれ。歌人。短歌にとどまることなく、エッセイや評論まで広く活躍中。。。だそうです。
昨年まで日曜の夜のNHKラジオで「夜はぷちぷちケータイ短歌」のレギュラー歌人だったのでよく聴いていました。
さすがは言葉の魔術師(って言い方古っ)どこを読んでも笑えます^^
特に気に入ったのは“天然”の章で「ドッペルゲンガー」を「トーテムポール」と間違えて憶えていた友人の話。狙っていないこの天然さこそ世界平和への道!?という穂村さんの視点がスバラシイ。


『人生問題集』春日 武彦 (著), 穂村 弘 (著) 角川グループパブリッシング
春日さんは“自慢じゃないが私も充分おかしいと胸を張る辣腕(本当)精神科医”だそうで〜^^確かにそういう面がないとできない仕事かもしれません。
人生の壮大なる問題・・・愛、友情、孤独、家族など等を毎回力の抜けた感じで対談されてます。
穂村さんは不意に立ち現れる圧倒的な違和感、現実の裂け目みたいなものを注意深く観察し、言語化することによって狂わずにいられるのかな〜と思えます。
これといったトラウマもなく、平穏にぬるく育った一人っ子(失礼)、手持ちのカードがないからこそできることもあるのかもしれません。


『君がいない夜のごはん』穂村 弘 (著) NHK出版
きょうの料理ビギナーズ』の人気エッセイ「真夜中の電子レンジ」を中心にまとめたものだそうです。
まずは味音痴ぶりが笑えます。それから干しイチジクにはまった話。ある日、袋の注意書きに”まれに虫が入っていることがあります”というような表示を見つけ、いままで確認もせず無防備に食べた大量のイチジクにどれくらい入っているか計算する、、、というくだりが笑えます。
私もパンに使うイチジクを切って中を確認しますが、穂村さんが算出したほどは入っていないと思いますよ。
食べるときの音「メンリ、メンリ… 」もナイスです^^

最近読んだ本 『感性の限界−不合理性・不自由性・不条理性』高橋 昌一郎 著


『感性の限界−不合理性・不自由性・不条理性』高橋 昌一郎 著 (講談社現代新書)

図書館にリクエストして長らく来なかった本。先日催促の電話をしたら他にも多数リクエストがかかっていてなかなか回ってこないとのこと。。。人気のようです。


本の紹介には
 人間の愛は「不合理」なもの?自由だと勝手に信じている人間が実際には「不自由」なのではないか?なぜ人間は生まれて死ななければならないという「不条理」に遭遇しているのか?そもそも人間とは何か・・・・?
「行為」「意志」「存在」の限界をテーマに、行動経済学者や認知科学者、進化論者、実存主義者など多様な分野の学者からカント主義者や急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生も加わり、楽しく深く広い論議を繰り広げる。そこから見えてくる人間の姿とは。。。


シンポジウム形式で繰り広げられる討論は同じ著者の「理性の限界」「知性の限界」に続く第三作目で完結編!?
討論形式であるため難しい話でもさくさくと読めました。
途中話が脱線しそうになると司会者が「そのお話は別の機会にお願いいたします」と軌道修正。これがけっこう多くて笑えます。


一番印象に残ったのは第一章の2 カーネマンの行動経済学の「アンカリング効果」・・・たとえば「定価5千円」と表示するより「定価一万円の半額セールで5千円」と書いた方が効果的なこと。これはよくあることですが、これがさまざまな場面で使われ、実際には不合理とも思える結果を生み出していることなど。。。よく見渡してみればこれは「危機的状況」とか「まったなし」など言葉のアンカリングが政治の世界にもあるのでは?などと思ってしまいました。


「おわりに」にも印象に残る話がありました。
なぜ人は「空気」に支配されやすいのか?で、実際に東京大学の医学部放射線健康管理教室の助手であった安斉氏(立命館大学名誉教授)が放射線防護学の立場から日本の原発の政策を批判したことにより学内では「安斉を干す」ことが当然の「空気」となり、氏はすべての教育業務から外され、研究発表には教授の許可が必要になり、同僚からは無視される「万年助手」の立場に封じ込められたという、まるで中学生のイジメのような「嫌がらせ」がなんと17年間も行われたという驚くべき事実。

放射線を過度に恐れるのではなく、かといって過小評価するのでもなく「正しく恐れる」ことが以下に困難か。そもそも人類は未知の現象を過度に恐れるように進化したのではないか?
未知の現象に対する「恐れ」や無意識的な「認識」の相違によって、議論の出発点から結論まで、大きく影響を受ける可能性があるということ。。。これは原発推進側と原発反対側の意見が延々と平行線をたどることから考えても納得。。。


現実の世界は「限界」に満ちていて壮観なネガティブの山ばかりのようではあっても、だからこそそこに果敢に挑戦し続ける人間がいるということもまた事実で、「何故?」と考え続けた人類の歴史の縮図をざっと辿った感がありました。
これからどんな新しい発見があって、もし将来この本の続きが書かれたならどんなシンポジウムになるのか?興味が湧きました。

最近読んだ本 『日本の文脈』


内田樹中沢新一著/角川書店
同じ1950年生まれのお二人。同じ東大生でありながらつい数年前まで出会うことがなかったとのこと。
この本はここ三年に渡って行われた対談をまとめたもので最後は3.11以後。
コラム『荒ぶる神の鎮め方』は内田さんのブログでも読みました。少し引用すると、、、

「・・・政治家も、官僚も、もちろん電力会社の経営者も、原発を誘致した地方政治家も、地元の土建屋も、保証金をもらった人々も、みんな「あれはただの金儲けの道具なんだよ」と自分に言い聞かせることによって原子力に対する自分自身の中にある底知れぬ恐怖をごまかしたのである。
一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを「畏れ、隔離する」というかたちで「テクニカルなリスクヘッジ」を試みた。
日本の人々は荒ぶる神を金儲けの道具まで墜落させ、その所在を安っぽいベニヤの書き割りで囲って「あんなもん、怖くもなんともないよ」と言い張ることで「心のリスクヘッジ」を試みた。
福島原発のふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を受けたのではないかと思う。
その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全設備の手抜きに心底驚愕したのではないかと思う。
どうして原子力のような危険なものを、こんなふうに「雑に」扱うのだろう・・・そこまでして「コストカット」したかったのか?日本人は命より金が大事なのか?
もちろんそうではない。話は逆なのだ。
あまりにも怖かったので「あれは金儲けの道具にすぎない」という嘘を採用したのである。」・・・なるほど、確かに原発のあの建屋はなんだか張りぼてみたいで心もとないというか、安っぽいと思ってました。。。。


内田さんはレヴィナス、中沢さんはレヴィ=ストロースと同じユダヤ系の思想家を研究していることもあり、ユダヤ教ユダヤ人、ユダヤ的思想についても日本との違いや共通点などを面白く説明。なぜノーベル賞の受賞者はユダヤ人が多いのか?や、ユダヤ教が人間にもたらしたもの、、「正解がない問に立ち向かうときの知性の使い方」答えられない問にまっすぐに向かうことで脳のパフォーマンスは爆発的に向上する。などなど。。

お二人の本はほとんど読んできましたが、これほど気が合うとは!終始ご機嫌で面白おかしく対談されているのが伝わってきました。

最近読んだ本。『(日本人)かっこにっぽんじん』など〜


「幼少の帝国」阿部 和重 (著) 新潮社
現代日本文化に指摘される「未成熟性」の正体を探る、著者初のノンフィクション!・・・第一章、一枚の写真から、として1945年ラフな軍服姿で両手を腰に当てて胸を張るマッカーサーとモーニングを着用した正装の昭和天皇が並んでいる有名な写真。このなんともちぐはぐな印象、違和感が戦争直後の日本人に相当な衝撃をもたらした。。。。
「わたしたちの天皇はちっちゃかった!」
このイメージ上での敗北が復興の原動力・・・小さいことこそすばらしいと言える社会を築かなければこのまま永久に体の大きな欧米人たちに敗北し続けるほかない。この無意識が現代の日本文化の中に見られる「成熟拒否」のきっかけとなったのではないか?という大胆な想像を展開しています。
日本は巨大化=強大化を志向すると失敗に陥る。これは第二次世界大戦における敗北であり、原発政策でも同じこと。。。
「小さい=かわいい=正義」。日本は極小の製品を作り出すようなニッチ市場を開拓する「隠れ蓑」戦略でこそ生き残ってきた、、、などなど。
最後に、「異種交配<ハイブリッド>」に立ち返る、、、良くも悪くも外圧を利用し、異文化受容装置として縦軸(継承性)と横軸(連携性)を絶えず組み合わせながら自らの活性化をはかってきたのが、日本と言う国の歴史(自己同一性)なのでしょうから必ずしもこれは的外れな考えではないはずです−そして当の変遷(異質性の取り込み)は、言うまでもなく日本語(漢字仮名交じり文)の特質そのものでもある、、、には納得です。


「(日本人)かっこにっぽんじん」 橘 玲 (著) 幻冬舎
最初に興味深いアンケート結果。。。「世界価値調査」は世界80ヵ国以上の人々を対象に政治や宗教、仕事、教育、家族観などをしらべたもので日本人が他の国々と比べて大きく異なっている項目3つを上げていて、、、
問:あなたは進んで国のためにたたかいますか。
この質問に「はい」と答えた人の比率。一位、キプロス83.6%をはじめとしてスウェーデンフィンランド、中国、韓国、、、アメリカは9位63.2%、そして下から二番目ドイツ27.7%、最下位日本15.1%。

問:あなたは日本人(ここにそれぞれの国名が入る)であることに誇りを感じますか。
この質問に「非常に感じる」「かなり感じる」と答えた人の比率では。コロンビア98.1%、ポーランドイラクと続き、アメリカは11番目89%、日本は下から二番目57.4%。ただし最下位香港49%は中国の特別行政区なので実質日本がもっとも低い。

問:権威や権力はより尊重されるべきですか?
この質問に「よいこと」と回答した人の比率の図では一位コロンビア91.5%、グアテマラ、フランスと続き、アメリカ11位59.2%、最下位日本なんと3.2%!!
このアンケート結果では先進諸国だけ見てもフランス84.9%、イギリス76.1%と健全な社会では権威や権力は尊重されるべきだと考えていて、権威的な体制への批判が噴出する中国ですら43.4%。
日本はダントツに権威や権力が嫌いな国民らしい。(これには同意)

このような特異な価値観を持つようになったのはやはり戦争体験の影響、、、権威や権力を振りかざす政治家や軍人を信じたら広島と長崎に原爆を落とされ、日本中が焼け野原になり、民間人を含め300万人ものひとびとが犠牲になったのだからもうこりごりだと思っても不思議はない。しかし敗戦によって同じような惨状を体験したドイツでも半分(49.8%)の人が尊重すべきと答えている。日本人の“反権力(というか厭権力)”があまりにも極端である、この謎を出発点に日本人を考える。。。
そしてここでもあのマッカーサー昭和天皇の写真のことが書かれていました!
あの写真を見た瞬間にすべての日本人が、誰が日本国の統治者になったのかを理解した。。。
GHQあてに「拝啓マッカーサー元師様」と書き出された手紙が続々と送られてきてその数、なんと50万通にも達した!手紙の書き手は政治家や医師のようなエリート層から、農民・主婦などの一般大衆、さらには小学生までさまざまだったが、その内容はマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものだったとのこと。
日本人はむかしから「世間」が大嫌いだった。だからこそ「お上」に面従腹背しつつ、個人の欲望を抑圧する「権威」を激しく嫌悪した。敗戦の直後から日本をアメリカの属国にして欲しいと懇願したのは日本人の自我が分裂したからではなく、それが“得”だと思ったから。日本人は御利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。ひとびとの価値観は支配者の交代や、いわんや教育などではなにもかわらない。。。これには唸った。


「夢いっぱい 昭和の食卓レシピ」主婦の友社(編)
菜の花村店長さんより借りた本。懐かしーって実際にはひとつ上の世代の雑誌ですが(^_^;
店長さん曰く。「自分が生まれた頃、都会ではこんな洋風な料理が作られていたなんて信じられない、この辺じゃ、みんなもんぺはいてたよ(笑)」
あと、「クリームチーズなんてなかったから粉チーズでチーズケーキを作った。でも本物を食べたことがないので良くわからなかった。。。」など^^いろんな思い出があるようです。
うちにも古〜いお菓子の本があっていつも眺めては空想していました。天火なんてなかったので作れるものは限られていて無理やりトースターで作ったりもしました。
ぼろぼろになりましたが今でも持っていますよ^^